第二次世界大戦後のイギリスで生まれたナイジェルは、喧嘩早いことで有名でした。しかしある日ギャングリーダーの彼女を略奪したことでトラブルになり、命の心配をしたナイジェルの母親は15歳の息子をオーストラリアへと移住させた。その後4年間ナイジェルは職を転々とし、木を切ったり、農場で農作物を収穫したり、カンガルーを狩ったり、鉄道建設に携わるなどしました。

一度目の結婚に失敗した彼は1980年にバリ島へと渡る。ここで後に妻となるマデ・カルヤニ(ヤニー)と出会い1985年に結婚し、ヤニーズレストランを開業する。

1990年にはバリ島初のラフティング会社バリアドベンチャーラフティングを開業し、その6年後にタロ村で、干からびた田んぼに佇む9頭の象を発見し、スマトラの象たちの現状を知る。象たちをほっておけなかった彼は、タロ村に3.5haの土地を購入し、象たちの為の楽園を建設し始める。

それからエレファントサファリパークには2009年に3頭の赤ちゃん象が誕生し合計30頭の象の群れとなった。ここでは他の動物園とは違って、身近に象を感じ、触ったり、餌を与えることができる。それは通常できない特別な体験である。

エレファントサファリパークには、5つ星品質のホテルの併設していて、象が部屋まで直接迎えに来るなどのここでしか味わえないエキサイティングな体験ができるようになっている。ここを訪れるお客様は象とゆったり瞑想したり、ただ一日中象を眺めるなどそれぞれの楽しみ方で楽しんでいただいている。ここの象たちは1頭1頭は異なった性格を持っているので、それぞれの個性を知り、楽しむこともできる。

しかし、象たちの故郷スマトラでは悲惨な状況が続いている。自然の中で残っているスマトラ象は1100等足らずであり、絶滅の危機に瀕している。しかも森林伐採は都筑、農民たちによる象の虐殺もあとを絶たない。ナイジェルは農地確保の為にどんどん森林を破壊する行為自体を止めることは難しいと言っている。住民たちの金銭の欲望はどうすることもできない。

1985年以降スマトラの森林地帯は元の大きさから半分以下になった。森があった所には油を採取するためのパームやし農園が作られた。WWFによると、象の個体数は以前より85%減少したということである。土地を追われた象たちは食料もなく、止むを得ず農地にあるわずかな食物を食べるようになる。それによって農家による象の虐殺が起きている。

アジアにおいて、動物はどうしても二の次になってしまう。まだまだ多くの人が生活に困り、自分が生きるのに精一杯だからである、とナイジェルは語る。農作物を荒らされたら、住民は象を殺す。自分たちの生活に必死だからこその行為なのであろう。

政府の対策として象の保護施設は形としてあるものの、資金不足でその運営はうまくいっておらず、そこにいる象たちは瀕死の状態で保護され、食料も医薬品も足りていない。その保護施設で早めに命が終わるのを待つような現状である。

2002年にナイジェルはスマトラから10頭の象を救い出すことを決意する。それはトラックで3000kmの距離、3つの島を渡って移動しなければいけないことを意味する。その時の保護対象であった赤ちゃん象のリスキーはインドネシア政府の気の遠くなる程長く掛かる手続きの最中に命を落としてしまった。この事はナイジェルの心を非常に痛めた。バリ島のエレファントサファリパークで象の赤ちゃんが生まれた時、ナイジェルはそのうちの一頭をリスキーと名づけた。

象を保護すると決意した2002年から3年経って、ようやく政府の手続きが終了し、3000kmの旅は始まった。この100時間にわたるドキュメンタリーは映画にもなり、”オペレーションジャンボ”として世界中で放映された。

エレファントサファリパークはいまや世界中で知られる有名なパークとなり、バリ島で一番おすすめのスポットになった。ここを訪れる有名人も多く、2010年にはジュリアロバーツ、トニーブレア元英国首相、カルバンクラインなどそうそうたる面々がパーク内を楽しんでいった。

今パークを訪れる外国人はオーナーと同じ、オーストラリア人がダントツのトップである。

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